RIVERSIDE PHOTO

出張フォトグラファー
川端 アリ

家族写真・子ども写真

これからもずっと、
命宿る者を撮っていきたい。

写真を撮ることは、その人がそこにいた時間を見つめること。

RIVERSIDE PHOTO 川端アリ

どんな人が、
自分たちの家族の写真を撮るんだろう。

子どもの写真を、どんな人が撮るんだろう。 そう思う方もいると思います。

私が家族写真を撮り続けている理由には、 私自身の生い立ちが深く関係しています。

01

私が、家族の写真を撮る理由。

私は宮崎県で生まれ、生まれてすぐに養護施設に入り、 そこで育ちました。

両親の顔を知らずに育った私にとって、 家族の写真は、ずっと遠いところにあるものでした。

今では私自身が母親になり、 子どもを育てる中で「幸せのかたち」を知るようになりました。

だからこそ、家族の何気ない時間を写真に残すことが、 どれほど大切で、かけがえのないことなのかを、 人一倍感じているのだと思います。

笑っている時間だけが、
家族の幸せではありません。

撮影の日くらいは、
「ちゃんとした家族」でいなくて大丈夫です。

子どもが走り回っても。
なかなか言うことを聞かなくても。
お母さんが少し疲れてしまっても。
つい怒ってしまっても。

大丈夫。
私は、そんな時間もカメラを下ろしません。

02

写真が、変わっていった頃。

中学生の頃から、写真が好きで、
カメラを必ず持ち歩いていました。

景色や無機質なものを撮るより、 友人や学校の先生、近所のおじちゃん、おばちゃん。 人を撮っている方が楽しかった。

20歳を過ぎてからは、 オーストラリアに一年間滞在し、 その後、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムを バックパッカーとしてカメラを持って旅しました。

海外を旅しながら撮影した写真
PHOTOGRAPHED DURING MY JOURNEY

オーストラリアでは、 オーガニックなものや、大自然の中で遊ぶ人たちの姿。

東南アジアでは、 決して裕福ではない環境の中でも、 自然な笑顔でいる子どもたちの表情に惹かれ、 沢山の子どもや親子の写真を撮りました。

自然体で動く子どもたちを撮っていると、 写真の中にも、その子らしさが残る。

撮られている人が自然体でいると、 写真を見る人も、どこか自然な気持ちで その写真を見ることができる。

その頃の私は、 「暮らしている環境や、その人の自由さによって、 こんなにも写真の表情が変わるんだな」と、 ぼんやり感じていました。

そして気がつけば、 子どもたちを撮っている時間が長くなっていました。

それが今の私の写真の原点のひとつになっています。

03

自分の子どもを撮るようになって。

私自身が母親になり、 子育てをしながら子どもの写真を残すようになってから、 さらに大切になったことがあります。

それは、 「自然体の子どもの歴史を残すこと」でした。

笑っている顔。
泣いている顔。
怒っている顔。
寝顔。

そして、思い出の日常の風景や、 そのときに暮らしていた場所。

きれいな瞬間だけを選ぶのではなく、 そのすべてを残しておきたいと思いました。

だって、それも全部、 その子にとっての「現在」だから。

特別な瞬間だけではなく、
そのときの暮らしごと残しておきたい。
04

私がファインダー越しに
見ているもの。

子どもが夢中になっているときの横顔。

お母さんが、子どもの髪を直す仕草。

お父さんと子どもが、 何気なく交わしている会話。

笑っている顔だけではなく、 笑う直前の顔。

抱きしめている瞬間だけではなく、 ふっと離れたときの二人の距離。

子どもがなかなか言うことを聞かなくて、 お母さんが思わず「もう!」と声をかける瞬間も。

そして、 いつもの服装。 いつもの風景。 その家族らしさが残る場所。

「きれいに撮ること」だけではなく、 その家族がそこで過ごしていた時間まで 写真に残したいと思っています。

EXPERIENCE

たくさんの家族を見てきたから、
分かること。

撮影の日、子どもが緊張してしまうことがあります。 カメラを嫌がったり、走り回ったり、 兄弟でけんかをしたり。

お母さんが、 「今日は全然うまくいかなかったな」と 思ってしまうこともあります。

でも、私はそれを失敗だとは思いません。

たくさんの家族を見てきたからこそ、 その家族には、その家族にしかない時間が 必ずあることを知っています。

だから私は、無理に笑わせたり、 ポーズを作ったりするのではなく、 少し離れて待つことがあります。

いつもの会話が始まるのを待つ。 子どもが夢中になる瞬間を待つ。 ふっと表情が変わる一瞬を待つ。

PHOTO LETTER

写真は、未来に残る
記憶になる。

写真は、特別な日だけを残すものではありません。

何でもなかった一日を、 あとから特別なものにしてくれるものだと思っています。

いつか子どもが大人になったとき、 その写真を見ながら、

「このとき、お母さんはこんな顔をしていたんだ」
「この場所で、こんなふうに過ごしていたんだ」

そんなふうに、 写真の中から家族の時間を もう一度見つけてもらえたら嬉しい。

写真が、 お父さん、お母さんから未来の子どもたちへ渡す フォトレターになったら。

自分にはなかったからこそ、
見えるものがある。

家族の風景。
何気ない親子の会話。
笑う前の表情。
泣いたあとにふっと見せる顔。

そのどれもが、 その家族にとって大切な「現在」なのだと思います。

命宿る者たちの、
そのままの時間を。